
皆さんこんにちは。だいぶ暖かくなってきたな~

そうだね!あったかい!
だいぶ外も暖かくなって、そろそろ庭仕事に力が入る季節になりました。
冬は枯草の中に転がるドングリのような生活をしている僕なのです。
寒さの中じっと動かずに春を待つ。
そんなドングリ坊やもじわじわと春のお日様に向かって芽を出し始めます。
寒さにじっと耐えるドングリ坊や
ドングリ坊やも春になり動き出したわけなのですが、今日は3月に植えるじゃがいもの下準備を進めました。
といってもそんな一日中耕すことは体力的にも厳しいので半日がいいところかな?
今日は障害者(五体不満足者)である僕と畑の関係をつらつら書いてみようかなと思います。
僕と畑
まず前提として、僕は身体障がい者です。(気になる方は下の記事へ)

いろんな障がいがある中で僕の病気は左下肢は感覚がないけど力は入るので、動けるというちょっと特殊なタイプなので人から理解されないこともあったり。
客観的に見たら「歩けるじゃん!動けるじゃん!」と言われることも。
まあ実際歩けるんだけど、痙縮とかなんとかって色々あって結構大変だったり。でもそんなの他人からしたらわからないし、伝える必要性があるのか?と思うこともある。
なんか“かわいそうアピール”してるみたいだなと思うこともあるけど、見る角度を変えれば武器にもなる。「こんな不自由でもできることもあるんだ。」と伝えることで自分の株をあげることもできる。(最低)
何よりも僕にとって畑作業は楽しいことだから、その楽しい記憶を見える形で残しておきたかった。
作業効率は最低だし、うまくいかないことのほうが多い。人の何十倍何百倍努力しないと、全然追いつかない。
畑や植物って○月までに種を植えて…みたいな計画がある程度決まっているわけなんだけど、いくら計画をしていてもその通りに行かないことのほうが多い。
その日の身体のコンディションもあるし、天気によってはどうしてもできないこともあるから。
計画通りに進めようと焦って転んで足をひねって、作業ができなかったこともある。
何が言いたいかって、たくさんの障害を背負って畑をしているってこと。
大変な思いをしてまで自然と向き合う理由
僕にとって畑って、植物を育てるだけじゃなかったりする。
まだ僕は健常者を見てうらやましいって思うこともたくさんあるし、世の中が憎いと感じることもたくさんある。毎日一日のどこかで必ず【死】を意識することもある。うまく生きられないことが悔しくて涙することもある。
畑や自然は僕のそんな感情をかき消してくれる。
というかそんなこと考えてる余裕がないくらい忙しかったりする。
それに必ず結果がついてくる。
何度も失敗しても成功するとやっぱりうれしい。次は何しようってワクワクする。
僕にとって畑や植物や自然と向き合うことは生きる理由なんです。
これからもつづける?
失敗ばかりでも、汚れ作業でも続けるでしょうね。
確かに冬は寒いし、夏は暑いし、虫刺されすごいし、よく転ぶし、泥だらけになるけど。
でも日の出を浴びるのは気持ちがいいし、よくわからない草木を見るとテンション上がるし、
畑の後のお風呂は最高に気持ちがいいし、作業後の酒は格段にうまい。
普通に生きていたら味わえない感覚かも。僕なんかは特に。
だからこの先も続けると思うし、畑を通してもっともっとやりたいこともある。
僕にとって畑作業や自然は生きるということ。もし辞める時が来るとするなら、それは生きる気力がなくなったときかも。
わからないけど、そんな気がしている。
だから自然と向き合い続ける生涯者でありたいって思っている。
今日はこんな感じのブログでした。終わり!
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